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- 池田晶子「あたりたえなこずばかり」  

答えがないんですけれども、人はどういうわけか蚀語を所有するために、存圚するしかない存圚に぀いお意味や目的を問うおしたう、問いようがないずわかっおいお問うおしたう。それは蚀語のせいです。動物は決しお問いたせん、なぜ自分が生きおいるのか。圌らは蚀語を所有しおいないからです。生たれたから生きおいる、それだけ。その意味では圌らは十党の生を生きおいるず蚀えるわけで、我々は蚀語をもっおしたったために、問えない問いを問う䞍幞、十党に生きられない。けれどもしょうがないんです、問いをもっちゃったかぎりは。問うしかないんだから、問わざるをえない。「䜕のために生きるのか」。

デカルトは、発芋した事実を報告しおいるのであっお、䜕らかの思想や孊説を述べおいるのではないのだが、この絶察的事実の絶察性を発芋しおいない粟神にずっおは、それは䜕らかの思想か孊説を述べおいるように聞こえる。これが、今日にたで続く通俗的なデカルト理解、「デカルト的な近代的個人」ずいうあの垞套句である。デカルトは、「私」が絶察確実であるず述べたのであっお、デカルトずいう個人がそうであるず述べたのではない。身䜓に代衚される個人性は、疑うこずができるこずにおいお確実ではないからである。しかし、「私」ずは身䜓に代衚されるこの個人のこずであるず、すでにあらかじめ思い蟌み、疑うこずをしおいない人々にずっお、「私」の確実性など、匷匁であろう。圌ら自身が、その確実性を捉えおいないのだからである。

考えれば考えるほど、自分ずは䜕であるのかわからないずいうのはたったく本圓なのである。それは、捉えようずするほど捉え損ねるずいうネガティブな意味では決しおない。自分ずは䜕であるのかは決しおわからないずいうこずが、はっきりずわかっおいるからこそ、そのわからなさをわからなさずしお楜しむこずができるのである。耇数の自己が居る、あるいは自己ずは重局的もしくは流動的なものである。このように了解しお存圚するこずは、きわめお自由な心地ではなかろうか。

叀代人たちは、憑かれた人々を導く神を、「ダむモヌン」ず呌んだ。倩才ずは、文字通り「デヌモニッシュ」な人々のこずだ。圌らは、魂の奥深いずころで、自分がこうずしかできないこずの理由は、䜕がしか自分ずは違うずころから来るこずを知っおいる。それをするのでなければ生きおいる理由がないのだから、死ず匕き換えにしおも圌らはその生を遞ぶだろう。遞択の䜙地のない宿呜を生きるずいうこずは、したがっお、この䞖的な幞犏ず䞍幞では蚈れない。
   

- 井筒俊圊「意識ず本質」

同じく経隓界における「本質」の虚劄性を認めるずころから出発しながら、䞍二䞀元論ノェヌダヌンタはこうしお倧乗仏教ずは正反察のテヌれに到達する。すなわち、仏教が珟象的無に始たる「本質」の無性を最埌の最埌たで远い぀めおいっお、぀いに圢而䞊孊的絶察無に終着するのに反しお、䞍二䞀元論は「本質」の珟象的無性を窮極たで远っお、぀いに圢而䞊孊的絶察有に終着するのである。䞀方は無、他方は有。だが䞡方ずもに絶察無文節であるこずはかわらない。ここに、絶察無文節的無ず絶察無文節的有ずが鋭く察立し、それに基いお、性栌を異にする二぀の存圚論が成立する。

蚀語的意識の極北。凍お぀く冷気の䞭で、コトバは空しい戊慄ずなっお沈黙のうちに沈みこもうずし、芪しげな県差しの日垞的事物はこずごずく自らを無化しお消滅する。虚無。䞀八六六幎䞉月、カザリス宛の手玙でマラルメは、「仏教を知るこずなしに、私は虚無に到達した」ず曞いおいる。そしお、この底知れぬ深淵が私を絶望に曵きずりこむ、ずも。マラルメのこの䞇物無化の䜓隓に、䜕か粟神錯乱の䞀歩手前ずいったものがあり、狂気の匂いが挂っおいるこずは事実だ。だが、虚無が圌の蟿り぀いた最埌の地点ではなかった。虚無の絶望の埌に開けおくる䞖界があった。早くも同じ䞀八六六幎の䞃月、同じカザリスに宛お、「虚無を芋出した埌で、僕は矎を芋出した。----- 僕が今、どんな枅柄の高みに螏みこんだか、君にはずおも想像出来たい」ず圌は曞く。虚無䜓隓には、思いもかけず、新しい存圚肯定ぞ向っおの窓が開いおいたのだ。いかに非人間的な、奇怪な存圚肯定で、それがあったにしおも。「矎」- 䞀切の経隓的、珟象的事物が倢たがろしのごずく消え沈む虚無、「忘华」の向う偎に、圌が芋出したこの「矎」こそ、圌にずっお、普遍的「本質」氞遠のむデア、の絶察矎の実圚領域だった。あらゆる生あるものの消滅する死の䞖界。だが、圌は歓喜した。垞識的人間の目で芋れば、死ず絶滅以倖の䜕ものでもありえないこの「矎」の領域を、存圚の氞遠性の次元ず圌は呌んだ。オヌバネル宛、䞀八六六幎䞃月。ここに至っおマラルメの詩的圢而䞊孊においお、「偶然」ずいう抂念が決定的重芁性を垯びおくる。氞遠䞍易の「本質」の盎芖をさたたげる䞀切の珟象的存圚芁玠を、圌は「偶然」ず呌ぶ。䞍断に動き倉化しお䞀瞬もずどたらぬ経隓的事物のざわめき。この偶然性あるいは時間性の支配から存圚者を救出するこずを、マラルメは詩人ずしおの己れの䜿呜ずする。時間の支配を超脱した「本質」の実圚性の次元に事物を昇華させるこずだ。その次元こそ絶察矎の領域。だが、撩乱ず花咲きみだれる珟象的䞖界 ヌ マラルメのいわゆる「地䞊楜園」 ヌ に察比しお、絶察矎の䞖界は限りなく冷い。それは氞遠的実圚ずしおの普遍的「本質」だけが棲むずころ、冷くきらめく「玔粋な星たち」の囜、䞇物が無生呜性の䞭に凍お぀き結晶した氷の䞖界。しかし、経隓的䞖界の流動する事物が、偶然性の桎梏を脱しお、このような氞遠䞍動の、「この䞊もなく玔粋な氷河地垯」カザリス宛、䞀八六六幎に螏み入るためには、圓然、それらの事物は完党に死滅しなければならない。先に述べた存圚無化に、たんなる仏教的 ヌ ずマラルメが考えた ヌ 「虚無」だけにずどたらない或る積極的なものを認めえたこずは、マラルメにずっお絶望からの救いだった。経隓的事物が残りなく「虚無」のうちに消滅し去っおこそ、その非存圚の空無の圌方に、偶発性の芁玠の完党に取り払われた、玔粋に光り茝く新しい姿で、それらの事物は立ち珟れおくるのだ。執拗に自己を䞻匵しおやたぬ日垞的事物、経隓的䞖界を埋め尜くす無数の個物、の感芚的珟実性が抹殺され、そこに成立する絶察的非珟実性の空間に、「むゞチュヌル」的「真倜䞭」の闇のさなかに、ある異次元の珟実性が開顕する。氞遠に倉らぬ普遍的「本質」の珟実性が。この圢而䞊的錬金術をなしずげる詩人コトバの芞術家マラルメの蚀語は、もはや日垞の、人々が䌝達に䜿甚する蚀語ではなくお、事物を経隓的存圚の次元で殺害しお氞遠の珟実性の次元に移し、そこでその物の「本質」を実圚的に呌び出す「絶察蚀語」なのである。勿論、それでもなお、事実䞊、詩人は普通の蚀語を䜿っお詩䜜しなければならない。しかし圌は普通の蚀語を絶察蚀語的に䜿う。普通の蚀語を普通の仕方で䜿えば、事物の感芚的圢姿が浮んでくる。䟋えば「花」ずいう蚀葉。それの呌び出すものは、ごく平凡な、どこのどの花にでも無差別的に圓おはたる䞀般的「本質」によっお芏定された感芚的花の圢象にすぎない。マラルメのいわゆる存圚の「茪廓」だ。存圚の感芚的な「茪廓」は移ろい易い。花は咲いお、やがお萎む。だが、詩人が絶察蚀語的に「花」ずいう語を発するずき、そこにある異垞なこずが起るのだ。存圚の日垞的秩序の䞭に感芚的実䜓「茪廓」ずしお珟れおいた花が、発音された語のひき起す幜かな空気の振動ず化しお消え散っおいく。花の「茪廓」の消倱ずずもに、花を芋おいる詩人の䞻䜓性も消倱する。生の流れが停止し、あらゆるものの姿が消える。この死の空間の凝固の䞭で、䞀たん消えた花が、圢而䞊的実圚ずなっお、応然ず、䞀瞬の皲劻に照明されお、癜々ず浮び䞊がっおくるのだ。花、氞遠の花、花の䞍易が。「私が花 ず蚀う。するず、私の声が、いかなる茪廓をもその䞭に払拭しさっお去っおしたう忘华の圌方に、我々が日頃狎れ芪しんでいる花ずは党く別の䜕かずしお、どの花束にも䞍圚の、銥郁たる花のむデヌそのものが、音楜的に立ち珟れおくる」「詩の危機」、ずマラルメは曞いおいる。䞖の䞭のどの花束にも絶えお芋圓らぬ、぀たりこの䞖のものならぬ、花のむデヌ。それこそ実圚するものずしお把握された花の普遍的「本質」だ。空間に充満しおたゆたう音楜が、物質的事物の存圚ずは違った意味で、違った次元で、確かに存圚するずいわれるような意味で、花の「本質」は存圚する。たさに「音楜的に」である。ここではもはやコトバは経隓的事物の蚘号ではない。事物を指瀺するものではなくお、かえっお事物を消し、事物を殺すもので、それはあるのだから。そしお経隓的事物を殺すこずが、ただちに普遍的実圚の生起なのである。存圚のこのような圢而䞊的高みに立っお、「花」ずいう䞀語を発音するこずは、マラルメにずっお、神の宇宙創造にも比すべき䞀぀の根源的創造行為だった。だが、それは同時に、事物䞍圚によっおひき起される極限的非人間性の鬌気迫る緊迫のうちに、マラルメが己れの詩の終焉を告げる華麗な、しかし限りなく悲しい、身振りでもあったのだ。
 
 

- むペネスコ「ノヌト 反ノヌト -挔劇論集-」倧久保茝臣 èš³
真実であるもの、あの本物の真理からくる真実性、それはずっぎで異垞なように芋えたす。事実それは異垞であっお、虚停の方こそ月䞊みです。あなたが誠実であるしるし、それはあなたが嘘぀き扱いをされるこずであり、あなたが正盎であればこそ道化者扱いをされるのです。あなたの叫び声が集団の粟神的習慣を突き砎るのですから。

建築家は寺院や宮殿や小さな家などを建おる。䜜曲家は亀響曲を䜜曲する。建築家に蚀わせれば、これは信者にお祈りの堎所を䜜っおやるためだ、王さたが貎顕玳士の賓客やたくさんの兵士たちを迎えられるように広々ずした邞宅を䜜っおやるためだ、蟲民が家畜や家族ずいっしょに䜏めるような堎所を䜜っおやるためだずいうわけです。ずころが建築家はみごずにしおやられたす。信者たちは死んでしたうし、宗教もすたれる。だが寺院はすたれないで盞倉わらず立っおいる。そしお人びずは䞖代から䞖代ぞず䜿いものにならなくなったこの寺院を、人気のないこの宮殿を、あるものずいえば家具や思い出くらいしかない絵のようなこの昔の家を、芋にやっおきおは感心するのです。亀響曲のほうはどうかず蚀うず、なによりもたしお音楜奜きを倢䞭にさせるのはその曲が䜜曲された手法そのものであっお、䜜曲家の些现な感情などはその死ずずもに死んでしたっおいるのです。こうなるずもう建築物も亀響曲も、建築の法則や音楜ずいうあの動く建築を支配する原則を明らかにするものにほかなりたせん。建築物も亀響曲もそれ自䜓に戻されお、その本質を玔粋に瀺すものずなるのです。

子䟛が生たれたがる様に、芞術䜜品も生たれたがりたす。芞術䜜品は魂の奥底から湧き出おきたす。なるほど瀟䌚は子䟛を暪取りしおしたいたすが、それにしおも子䟛は瀟䌚のために生たれるのではありたせん。子䟛は生たれるために生たれるのです。同様に芞術䜜品も生たれるために生たれる、䜜品は䜜者に自分を抌し぀け、存圚したいず芁求するのであっお、瀟䌚が自分を呌んだのかどうかなどずは思っおもみないし、考慮にも入れたせん。子䟛の堎合ず同様に、瀟䌚が芞術䜜品を暪取りしおしたうこずはもちろんですが、䜜品のほうも瀟䌚を利甚できるのですし、瀟䌚を糟匟したり砎壊したりするこずもできるのです。䜜品は瀟䌚的機胜を果たすこずもありたすし、果たさないこずもありたすが、けっしお瀟䌚的機胜そのものであるこずはない。䜜品の本質は超瀟䌚的なのです。

蚀葉がいただか぀お意味しなかったこずを、その蚀葉に蚀わせるこず。

ずころでこれは異垞に芋えるかもしれたせんが、わずか数人の良心的な個人が歎史に察抗しお、真理を代衚しおいるずいうこずはおおいにありうるこずなのです。珟に歎史ずいう神話がありたすが、流行語ですからそれを䜿うず、いたやその欺瞞を芚醒すべき重倧な時期にさしかかったず蚀えそうですね。䞖間䞀般の流れに抗しお、普遍的な良心を代衚しおきたものは、垞に孀立した数人の良心でした。革呜家自身にしたずころが、その出発点では孀立しおいたのであっお、そのためにかえっお気がずがめるか、自分は果たしおたちがっおいるのか正しいのかわからないほどだったのです。たったひずりで続けお行くだけの勇気をどうしお圌らが自己の内郚に芋いだしえたのか、わたしにはどうしおもわからないくらいです。圌らは英雄です。しかし、圌らがそのために自己の生呜をなげうった真理が公匏の真理になっおしたうず、もはや英雄は存圚せず、存圚するのはただ甚心深くお臆病な、仕事向きの圹人どもだけになりたす。

わたしは画䞀䞻矩を砎壊したがそれにかわるものを芋぀けなかったので、その批評家ず芳客を空癜のなかに眮き去りにしたず䞍満を述べおいる。だがそれこそわたしが䜜り出そうずしたものなのだ。自由な人間はたったひずりで、他人の力を借りずに、自力でその空癜から脱出すべきなのである。
 

- 岡本倪郎 「呪術誕生」
今たでそれなしには「すぐれた芞術」ずはいえないずされおいた絶察の条件がなにひず぀なくお、しかも芋るものを圧倒し去り、䞖界芳を根底からく぀がえしおしたい、以埌、その人の生掻自䜓を倉えおしたうほどの力をもったもの、ヌ私はこれこそ、ほんずうの芞術だず思うのです。

枟沌を秘めおいない芞術なんおあり埗ない。絵画、音楜、文孊それらのあらゆる感動的傑䜜を考えおみるがいい。人間本来の枟沌がいかになたなたしくうち出されおいるか。その䞊に、普遍的な合理性が察立的に秩序づけられお、あやしいたでの魅力になっおいるのだ。氞遠の矛盟を秘めたあやしいハヌモニヌである。
 


- 和尚「黄金の華の秘密」
真理は䞍倉であり、異なるのは衚珟だけだ。

いいかね、宗教的な人間にずっお最倧の課題は深刻になり過ぎないこずだ。宗教的な人間にずっお最倧の課題は悲したないこずだ。宗教的な人間にずっお最倧の課題は吊定的にならないこずだ。なぜなら、ふ぀うはそうなっおしたうからだヌヌヌ宗教的な人間は悲しみに沈み、ひどく深刻になり、生に察しお吊定的になる。圌らは春のこずをすっかり忘れおしたう。圌らは枯れ朚や冷たい灰のこずばかり考える。圌らはバランスを倱っおいる。ずきには倧地が明るい春を迎えおいる姿を想起しなければならない。真に宗教的な人間はナヌモアの感芚をもち合わせおいる。真に宗教的な人間は誠実ではあるが、けっしお深刻ではない。為すべきこずに完党に身を捧げおいるが、けっしお「俺のほうがおたえより高朔だ」ずいった態床は取らない、絶察に取らない。けっしお優越感にひたるこずはなく、謙虚だ。真に宗教的な人間は雚や颚ずずもに螊るこずができる。子䟛たちず䞀緒に埮笑み、笑うこずができる。生のあらゆる状況にく぀ろぐこずができる。それが自由だ、それは自我からの自由だ。自我は人を深刻にする。
 

- カッシヌラヌ「人間 -シンボルを操るもの-」宮城音匥 èš³
我々が宗教から受け取る唯䞀の答は、自己を隠しおいるこずが神の意思であるずいうこずである。「かくお、神は隠されおいるゆえに『神が隠されおいる』ずいわない宗教は真実ではない。たた、このために理性を䞎えない宗教は教蚓的ではない。我々の宗教はすべおこれをなすヌヌたこずに、汝は隠されたる神なり......。なぜならば、自然は各所に、人間においおも、人間以倖のものにおいおも、倱われた神を瀺すようなものである」。それゆえに、宗教はいわば背理の論理である。なぜならば、ただ、このようにしお人間の背理、内的矛盟、奇劙な存圚を぀かむこずができる。「たしかにこの説以䞊に荒々しく我々を打぀ものはない。だが、この、あらゆるもののうちで最も了解䞍胜な神秘がなければ、我々は我々自身にずっお了解䞍胜なのである」。

呜題蚀語propositional languageず情動蚀語emotional languageの間の差異は、人間䞖界ず動物䞖界の間の真の境界である。


- クラヌゲス 「リズムの本質」杉浊実 èš³
事物ははじめお知芚されるずき新奇性を持぀。しかし、二床目には、その事物を再認するこずを可胜にする既知性を持぀。たったく短期間のうちに癟床目の知芚がなされるずき、事物は習慣性を埗お、もはやわたしの泚意をひかないずいう事態になる。なぜなら、それず同時に、䞖界珟象に関するわたしの䜓隓からなにかが滑り萜ちたからである。珟象の䞖界はそれゆえはおしなく続く倉化ず逃亡のなかにあり、䞀方、事物の䞖界はいわば無時間的、固着的である。
 

- K りィルバヌ「構造ずしおの神」井䞊章子 èš³
控え目にいっお、われわれが分析するのには次の諞レベルが含たれる。物質亀換の身䜓的レベル その範型は食物の消費ず自然環境からの食物の採取であり、そしおこの圏は手枝の劎働であっお、ここでの分析家の原型はマルクスである。生気掻力の亀換ずいう情動的レベル その範型は呌吞ず性でありこの圏は情動の亀わりであっお、感情から性ぞ、そこから暩力に及び、ここでの分析家の原型はフロむトである。蚘号亀換の心的レベル その範型は談話蚀語であり、この圏はコミュニケヌションであり、分析家の原型は゜クラテスである。盎感的亀換の心魂的レベル その範型はシッディ心魂的掞察およびノィゞョン論理䞀般、その圏はペガの軍茶利尌、この分析家の原型はパタンゞャリ。神 / 光亀換の粟劙レベル 範型は声 / 黙瀺ず粟劙的照明有分別䞉味、その圏は聖人的「倩囜」ブラフマ / 䞖界、ひず自身の耇合的個䜓のうちの高次構造の朜勢䜓、原型たる分析家は、モヌれ、聖パりロ、キルパル シンフ。無限亀換の因果レベル その範型は「非創造者のうちの、たたそれずしおの、根底的な融解無分別、倶生、䞉味、その圏は芚者的神性、その原型たる分析家は仏陀、クリシュナ、キリストである。
 
 

- 近藀譲「音楜ずいう謎」
民族音楜孊者のアランメリアムは、今や叀兞的な著曞ずなった「音楜人類孊」で、音楜が持぀十の瀟䌚的な性質を持぀機胜を数え䞊げ、その䞭の䞀぀に、「瀟䌚を統合する機胜」を挙げおいる。この「瀟䌚統合」のほかに、圌が挙げた九぀の機胜は、「感情衚珟」、「矎的䜓隓を䞎える」、「嚯楜」、「䌝達」、「象城衚珟」、「肉䜓的反応の喚起」、「瀟䌚芏範ぞの埓順を促す」、「瀟䌚制床や宗教儀匏の劥圓性有効性を確認させる」、「文化の存続ず安定ぞの寄䞎」である。
 


- 郷 尚文「芚醒の舞螏」

人間を創造した力は、人間に倚倧な可胜性を䞎えたが、その可胜性を成就する仕事は人間に任せた。

グルゞェフの関心は、答えを䞎える事よりも、探求の原動力ずなるような、切実な疑問を呌び芚たす事にあった。


- 䞋村寅倪郎「レオナルドダノィンチ」
(侀)蚀語を理性が固定し確定的な圢匏の䞋に蚀語を構成する、即ち蚀語に補匷工䜜を斜し蚀語を再築する方向
(二)蚀語の歀方においお探求し発生状態にある内的圢態即ち盎感を芳察する方法
(侀)は建築家的な哲孊者 (二)は音楜家的な哲孊者 ずいい埗る。

 

- シラヌ「矎的教逊論」 æž…æ°Žæž… èš³  

私は正芏な孊術的論法を甚いるこずにはあたり慣れお居りたせんが、それだけ华぀お、それを濫甚しお玔粋な趣味を傷けるずいうような危険はないものず確信しお居りたす。私の思想は、豊かな人生経隓や沢山の読曞を通しお埗たものずいうよりは、むしろひたすら自分独りぞ沈朜しお埗たものでありたしお、そうしたお里を私の思想は停りなくさらけ出すでありたしょう。埓぀お、それはたずえどのような誀りを犯すこずがありたしおも、決しお流掟思想に陥るずいうようなこずだけはないものず思぀お居りたす。たた、暩嚁や他人の力によ぀お支えられるくらいなら、私の思想はむしろ喜んで己れの脆さの故に倒れるこずを望むでありたしよう。

分析を事ずする化孊者ず同じく、哲孊者もたた分解をも぀おのみ始めお結合を知り、芞術を拷問にかけお芋おこそ始めおそれが自由意志的本性の䜜品であるこずを芋出すのです。移ろい易い珟象を匕き捕えるためには哲孊者はそれらの珟象を芏則の鎖に瞛り぀け、その矎しい身䜓をいろいろな抂念に切り刻み、そしお掻きた粟神を貧しい蚀葉の骚組のうちに保存するようにしなければなりたせん。かような抂念的暡像のうちには自然的感情などはもはや芋るに由もなく、たた真理が解剖孊者の報告のうちに䞀぀の逆説ずしお珟れお来るずしおも、䜕の䞍思議がありたしょうか。

時勢の流れは時代の倩才を理想の芞術から益々遠ざかるような方向ぞ動かしお来たした。この理想の芞術は、珟実を芋棄おお毅然たる態床をもっお珟実の必芁を超越しなければならないのです。ずいうのは、芞術は自由の嚘であっお、物質の必芁からでなく、粟神の必然からその指什を受けようずするものであるからです。ずころが今日は、ただ必芁が勢力をふるっおいお、䜎䞋した人類をその暎虐な桎梏の䞋に抑え぀けおいるのです。効甚ずいうものが時代の倧きな偶像であっお、凡おの力はそれに盲埓し、凡おの才胜はそれに臣事せざるを埗ないように考えられおいたす。この粗雑な秀にかけられおは、芞術の粟神的功瞟のごずきは䜕の重みも有ちたせん、そしお錓舞の力ずいうようなものは䞀切奪い取られお、芞術はこの䞖玀の隒然たる垂堎から姿を消しお行くのです。哲孊的の研究粟神たでが想像力の領分を次々ず剝ぎずっお行き、そしお芞術の境界は、孊問がその限界を拡げれば拡げるほど、たすたす狭たっお行くのです。

人間は䜕れの個人も、その玠質ず䜿呜ずから芋お、䞀の玔粋なる理想的人間を内に抱いおいるものであるずいうこずが出来たす。そしお、その凡ゆる倉転のうちにあっおこの理想的人間の䞍倉の統䞀䜓ず合臎するこず、これが人間存圚の偉倧な課題なのです。この玔粋人は、明瞭䞍明瞭の盞違はあっおも、凡ゆる䞻䜓のうちに認められるものですが、これを代衚するものは囜家でありたす。即ち、凡ゆる䞻䜓の雑倚がそこで互いに合䞀しようず努めるずころの客芳的な、蚀わば基準的な圢匏ずしおの囜家なのです。さお䜵し、時間のうちにある人間が劂䜕にしお理念のうちにある人間ず合臎するこずが出来るか、同様にたた、囜家が劂䜕にしお個々人のうちに自らを䞻匵し埗るか、そこには盞異なった二぀の方法が考えられたす、ヌヌヌ 䞀぀には、玔粋人が経隓人を圧迫するこず、囜家が個人を砎棄するこずによっおか、二぀には個人が囜家ず成るこず、時間のうちにある人間が理念のうちにある人間にたで自分を高めお行くこずによっおか、その䜕れかの方法によるのでありたす。

人間はすでに自分自身ず二重の仕方で察立しおいる堎合がありたす、ヌヌ即ち感情が原則を支配する堎合の野蛮人ずしおか、たたは、原則が感情を砎壊する堎合の未開人ずしおかでありたす。野蛮な人は芞術を軜蔑し、そしお自然を自分の絶察的な呜什者であるず芋るのに察し、未開な人は自然を嘲笑しおこれを蟱めたすが、野蛮な人よりも䞀局䞋劣なこずには、しばしば自分の奎隷の奎隷であるこずを続けお䞀向に平気でいるのです。然るに、教逊ある人間は自然を己れの友ずなし、そしおただ自然の恣意を抑制するだけで、その自由を尊重するのでありたす。かようにしお、理性はその道埳的統䞀を物理的瀟䌚のうちぞもたらそうずするずき、決しお自然の倚様性を傷぀けるようなこずがあっおはなりたせん。たた、自然がその倚様性を瀟䌚の道埳的構造のうちで䞻匵しようずするずき、それによっお道埳的統䞀に䜕かの砎綻でも起るようなこずがあっおはならないのです。単調ず混乱から等距離のずころに、勝利の圢匏はあるのです。
 


- S ゜ンタグ「反解釈」 高橋康也 ほか蚳
芞術䜜品がなしうるこずは、われわれに刀断させ、䞀般化させるこずではなくお、䜕か特別なものを芋させ把握させるこずである。この官胜性が䌎った把握の行為は芞術䜜品の唯䞀の有効な目暙であり、唯䞀の完党な正圓化である。
 


- ニヌチェ「ツァラトゥストラ」 手塚富雄 èš³
かれの欲求が満ち足りお沈黙すべきだ、ずわたしは蚀っおいるのではない、そうではなくお、矎の䞖界にひたっおかれの欲求が沈黙するのでなければならない。


- 蓮寊重圊「批評 あるいは仮死の祭兞」
フヌコヌ ずころでこれは、かなり興味深い珟象なのですが、圌らは奇劙な矛盟の䞭に捉われおいたす。䞀方で、圌らは、マルクス䞻矩を䞀぀の科孊だずいう。わたしにずっおは、ずいうのはきっずわたしが幟分か科孊史家ずいった面を持っおいるからかも知れたせんが、マルクス䞻矩が科孊だずいうのはあたり讃蟞のようには響かない。䞀぀のタむプのディスクヌルを科孊ずいうのは、いったいどういうこずか。䞀぀のディスクヌルを、これは科孊的ディスクヌルだずいうこずによっお、䞀぀のタむプのディスクヌルを神聖芖したり、たたその䟡倀を確かなものず保蚌するこずはありえないず思っおいるのです。科孊的ディスクヌルずいうものは、わたしの考えによれば、こんにち、しかるべき特城によっおそれを性栌づけうるものです。そしおそうした特城のうちには、次のような重芁な点が含たれおいる。すなわち、䞀぀の科孊、孊問領域がその創始者を必ず持っおいるのは確かだずしおも、その科孊の歎史的な発展が、いかなる堎合であれ、この創始者のテキストのたんなる解釈で終わるこずは絶察にありえない。物理孊がガリレむによっお創始されたのが事実だずしおも、ガリレむがいかなる点たで到達しえお、たたいかなる点にも到達しえなかったかを瀺しうるのは、たさにその物理孊の科孊性によっおではなかったか。぀たり、物理孊の科孊性それ自䜓が、ガリレむの誀りを指摘しうるのです。ニュヌトンに぀いおも、キュノィ゚に぀いおも、ダヌりィンに぀いおも事情に倉わりはありたせん。したがっお、もしかりに、ある皮のマルクス䞻矩者が、マルクス䞻矩を科孊だず䞻匵するのが確かであるなら、その人たちは、その科孊の名においお、たたその科孊を出発点ずしお、いかなる領域においおマルクスが間違っおいたかを知る必芁がある。そこで、マルクス䞻矩は科孊だずいうマルクス䞻矩者に向かっお、わたしは、あなたがマルクス䞻矩の科孊性によっおマルクスの誀りを瀺したその日になっお、はじめお、なるほどあなたは科孊ずしおのマルクス䞻矩を実践しおおられるのがわかったずいうこずになるでしょう。

 

- ハンス リヒタヌ「ダダ―芞術ず反芞術」 針生侀郎 èš³

陳腐さに察する陜気な䟮蟱

バルの意味にたいする䞍屈の探求は、時代の無意味ずは察照的かもしれないが、疑いの䜙地がない。かれは懐疑にみちた理想䞻矩者であっお、倖界にたいするきわめお深い懐疑の念にもかかわらず、その生呜ぞの信仰は倱われるこずはなかった。

 

- 藀原基倮 「グングニル」  

そい぀は酷い どこたでも胡散臭くお安っぜい宝の地図 でも人によっちゃそれ自䜓が宝物 「こい぀は凄い財宝の圚り凊なんだ」 信じきった圌もずうずうその真理を確かめる旅に出るずする 誰もが口々に圌を眵った 「デタラメの地図に県が眩んでる」っお 容易く人䞀人を倀螏みしやがっお 䞖界の神ですら圌を笑う暩利なんお持たないのに そい぀は酷い出来映えだがこ぀こ぀地道に䜜り䞊げた自前の船 圌にずっちゃ蚘念すべき最初の歊噚 荷物を積み別れを告げ朝焌けの海に垆を匵った 堪え切れず掲げた拳 響き枡る閧の声 そい぀は酷い どこたでも胡散臭くお安っぜい宝の地図 でも誰にだっおそれ自䜓が宝物 ホントにでかい誰もが耳疑うような倢物語でも信じきった人によっちゃ自䌝に成り埗るだろう 誰もが遠ざかる船を呪い出した 「願わくば高波よ悪魔ずなれ」 容易く芚悟の前に立ちはだかりやがっお 倢の終わりは圌が拳を䞋げた時だけ 死に際の階士 その手にグングニル 狙ったモノは必ず貫く 誰もがその手を気付けば振っおいた 黄金の海原を走る船に向けお 自らその手で砎り捚おた地図の切れ端を探しお拟い集め出した 容易く自分自身を倀螏みしやがっお 䞖界の神ですら君を笑おうずも俺は決しお笑わない 船は今嵐の真ん䞭で 䞖界の神ですらそれを救う暩利を欲しがるのに

 

- フヌゎ バル「時代からの逃走 -ダダ創立者の日蚘-」 土肥矎倫 / 近藀公䞀 共蚳
粟神の䞖界から、ほんの軜埮な抑圧にも反応する生きた有機䜓を぀くるこず。  

䞀九䞀〇幎から䞀九䞀四幎たで、わたしにずっおは䞀切が挔劇だった。生掻も、人間たちも、恋愛も、モラルも。

これらの画家は、「先ず芋よ、しかる埌思玢せよ」ずいう呜題を絵で瀺しおいた。そこでは、知性の回り道を経ないで、生呜の党䜓的な衚珟が達成されおいた。知性は呪わしい䞖界ずしおしめ出されたのだ。倩囜のような颚景が絵に珟れおいた。その画像には額瞁をうち砎ろうずする力がみちあふれおいた。動的な生呜力はそれほど匷力だったのだ。偉倧なものの前兆が珟れおきおいるようにみえた。悊ばしい幻芖の衚珟がその力匷さのしるしず認められた。絵画はそれにふさわしい仕方で神の子をもう䞀床生もうずしおいるようにみえた。絵画が数䞖玀にわたっお母ず子の神話の前に跪いおいたこずは、無駄ではなかったのだ。  

ハりれンシュタむンが、「芞術家でない者にずっおは、ゆがんだフォルムがい぀も芞術家たる者の最高の本性だったが、芞術家自身はそのようなゆがみずその䞍気味さにおびえおいるのだ」ず曞くたびに、われわれはカリカチュアやデヌモンのような䞍吉なものを身をもっお䜓隓しおいた。

次のこずだけははっきりしおいる。぀たり、根っ子がコチコチに固たっお也涞びおしたった人間、もはや移るこずも、倉わるこずもできない人間は、思想をもち、生産的になるこずをやめおいるのだ。

粟神の深い関心事は、矀衆ではなく、圢態である。しかし圢態は矀衆に浞透しようずする。

矀衆の叛乱よりは、唯物論哲孊の叛乱のほうが䞍可避である。  

誘惑を知り、たた抵抗も知っお、培底的に確かめられた思想だけ、実際に生かされ、具䜓化される思想だけ、真の意味で存圚するのはそういう思想だけだ。

個性の倧きさを、珟実的な、たしおたた可胜性をもった個性の倧きさを、鋭く掞察できるようにするこず。  

わたしの思想は矛盟察立しながら動いおいる。たさにこの蚀葉で、あらゆる思想は矛盟察立しながら動いおいるのだ、ずそう蚀いたかったのだが、しかしいたは、それずは別の可胜性があるこずがわかった、぀たり、突き抜けるずいう思想だ。最高の存圚ぞの萌芜はどんな人間にもひそんでいる。問題は、ただ、人間を閉じ蟌め、窒息させおいる呚囲の壁をずりこわさないで、なお最高の存圚のひらめきにたで突き抜けられるかどうか、ずいうこずだ。瀟䌚孊的にみるず、人間ずいうものは固い殻をかぶっお圢䜜られおいる。倖殻をこわせば、おそらく䞭身もこわすこずになるだろう。

盎芳、聎芚、臭芚、芖芚、味芚、觊芚。これらは生々しい六぀のいずうべき感芚であるしたがっお盎芳もそのなかにはいっおいる。

ランタンで人間を探求したあの哲孊者は、今日のわれわれにくらべおずっずたしだった。圌のランタンを吹き消したり、圌自身の光を消しおしたうような者はいなかった。圓時の人には、圌にそのような探求をさせるだけの機智に富んだ人のよさがあったのだ。

冒険家は぀ねにディレッタントである。圌は、偶然に期埅をかけ、自分の力を信頌しおいる。圌が求めおいるのは、認識ではなく、自己の優越性の確蚌である。気分が高ぶれば、生呜を賭けるが、しかしそれも切り抜けられるず期埅しおいるのだ。しかし奜奇心の匷い者、ダンディは、冒険家ずはちがっおいる。ダンディもたた、危険を探し求める、しかし物奜きで危険を求めるのではない。圌はそれを謎ずしおずらえ、それを解き明かそうず努める。䜓隓から䜓隓ぞず圌を導いおいるものは、気たぐれではなく、思想の䞀貫性であり、粟神的事実の論理である。ダンディの冒険は時代の負担であるが、それに反しお冒険家の䜓隓は恣意にもずづいおいお、自分自身の責任である。たたこうもいえるだろう。冒険家は偶然のむデオロギヌに支えられ、ダンディは運呜のむデオロギヌに支えられる、ず。

䞍治の病を患い、合理䞻矩で治療を受けおいる人びずの愚盎さ。確かに、いたは倧いなる時代だ。魂の医者にずっお。


- マルクス・ガブリ゚ル「なぜ䞖界は存圚しないのか」 枅氎䞀浩 èš³
 宇宙は物理孊の察象領域である。
 察象領域は数倚く存圚しおいる
 宇宙は、数倚くある察象領域のひず぀にすぎず倧きさの点で最も印象的な察象領域であるにしおも、したがっお存圚論的な限定領域にほかならない。
    倚くの察象領域は、話の領域でもある。さらにいく぀かの察象領域は、話の領域でしかない。
 䞖界は、察象ないし物の総䜓でもなければ、事実の総䜓でもない。䞖界ずは、すべおの領域の領域にほかならない。


- 吉本隆明「蚀語にずっお矎ずはなにか 第巻」
散文家が制玄ずみるかもしれない音数埋が、歌人にはあらかじめ保蚌された無限の蚱可ずみえるこずはありうる。

 

- リルケ「リルケ詩集」 富士川英朗 èš³

もろもろの事物のうえに匵られおいる成長する茪のなかで私は私の生を生きおいる たぶん私は最埌の茪を完成するこずはないだろう でも私はそれを詊みたいず思っおいる 私は神を 倪叀の塔をめぐりもう千幎もめぐっおいるがただ知らない 私が鷹なのか嵐なのかそれずも倧いなる歌なのかを

私がその䞭から生たれおきた闇よ 私はお前を焔よりも愛する 焔は䞖界を限っお或る範囲のためにだけかがやいおいるがその倖では䜕ものも焔を知っおはいないのだ けれども闇はすべおを抱いおいる いろいろなものの姿や焔や動物や私を 闇は人々やもろもろの力を自分の䞭に匕き入れおいる

圌等には異郷の囜々の幻想もなく たれ萜ちる衣裳のなかから螊る耐色の女たちの感情もない 野生の奇異なメロディもなく 血のなかから生たれでた歌も深い奥底から叫んだ血もない 熱垯の倊怠のなかで ビロヌドのように身を拡げた耐色の少女たちも 兇噚のように燃え䞊った県もない そしお哄笑にひろがる口ず 癜人皮の虚栄ずの奇劙な了解があるばかりだ 私にはそれを芋るのがひどく䞍安だった おお なんず動物たちがはるかに誠実なこずだろう 圌等は檻のなかを埀ったり来たりしながら 自分たちに理解できない 新しい 奇異な物事の営みず銎れあうこずもない そしお圌等は沈黙の火のように静かに燃え぀き 自分のなかぞ沈んでゆく 新しい出来事になんの関心もなく 自分たちの偉倧な血ずずもに孀りがっちで

朚の葉が萜ちる 萜ちる 遠くからのように 倧空の遠い園生が枯れたように 朚の葉は吊定の身ぶりで萜ちる そしお倜倜には 重たい地球が あらゆる星の矀から 寂寥のなかぞ萜ちる われわれはみんな萜ちる この手も萜ちる ほかをごらん 萜䞋はすべおにあるのだ けれども ただひずり この萜䞋を 限りなくやさしく その䞡手に支えおいる者がある

音楜 圫像の吐息よ おそらくは 絵のも぀しじた もろもろの蚀葉のおわるずころで 始たる蚀葉よ 私たちの 消えおゆく心の方向のうえに垂盎に立っおいる時間よ お前は誰に向っお動く感情なのか ああ お前は感情の䜕に移りかわる倉化であろうヌ耳に聞こえる颚景に。 音楜 芋知らぬものよ 私たちからはみだした 心の空間 私たちの最も内からのものでありながら 私たちを乗り越えお あふれでるものよヌ神聖な別離よ いた 私たちの内郚が私たちを取り巻いおいる 芋事な遠景のように 空気の 裏偎のように 浄らかに 巚倧に もはや私たちが䜏むこずもできず

すべおの深い発芋が 再び私を幌な児にした




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