Yu Miyashita (Yaporigami) – Artist, Composer, Thinker




































Essay_小論






歴史上の芸術家たちの中には、精神の深い揺らぎを抱えながら、強烈な創作を行ってきた人物が多数います。

Rainer Maria Rilke, Vincent van Gogh, Antonin Artaud という名前は、それぞれに異なる時代と表現領域を持ちながらも、「精神の限界」に接し続けた芸術家の代表格です。

Reiner Maria Rilke

  • リルケは精神疾患としての明確な診断を受けていたわけではありませんが、彼の詩作には常に**「孤独」「死」「超越的な不安」**が中心に据えられており、現代の診断基準に照らせば、強い神経症的傾向(特に回避性パーソナリティ)やうつ的傾向が示唆されます。
  • 『マルテの手記』では感覚過敏・過剰な内省・自己の解体感が描かれ、「自己の崩壊と再編成」が彼の詩に通底しています。これは統合失調的な世界感覚と非常に親和性があります。

Vincent van Gogh

  • ヴァン・ゴッホは、医師や学者の間でもさまざまな診断がされてきました。てんかん説、双極性障害説、そして近年では統合失調感情障害の可能性が強く支持されています。
  • 幻聴、妄想、自傷行為(耳を切る事件)、極端な気分の波、不眠、社会的孤立など、多くの症状が記録されています。
  • 同時に、それらの精神状態が、強烈な色彩・筆致・感情の爆発としてキャンバスに昇華されたことは、美術史における明白な事実です。

Antonin Artaud

  • アルトーこそが「精神の裂け目に身を置きながら創作した」人物の代表例かもしれません。
  • 明確に精神病院に入退院を繰り返し、電気ショック療法を受け、統合失調症と診断されています。
  • 彼の詩、演劇理論(残酷演劇)、自伝的テキストには幻聴・強迫観念・被害妄想・神秘体験が満ちており、自己の解体と言語の崩壊を通して、言葉以前の表現に向かおうとする壮絶な実践を続けました。
  • 彼にとって、藝術は「救済」でも「表現」でもなく、世界への呪術的介入でした。

統合失調的な知覚と芸術性

精神医学と藝術の交差点では、次のような現象が多く見られます:

統合失調的傾向 <> 芸術的変換
認知の分裂 <> 多層的・象徴的構成
幻聴・幻視 <> 音・色彩・形態の拡張
自我の境界の希薄化 <> 他者との共鳴・宇宙的視点
世界の異化・歪み <> 革新的なスタイル・視覚言語
言語の崩壊 <> 詩的飛躍・脱構築的な文体

参考になる視点・作品

  • 『アントナン・アルトーの手紙』(白水社)── 創作と精神崩壊の往復を記録
  • Kay Redfield Jamison: 『Touched with Fire』
    → 芸術家における双極性・統合失調との関係を詳細に分析
  • Laurence Weschler: 『Mr. Wilson's Cabinet of Wonder』
    → 異常知覚と創造性の関係を追った文化人類学的視点


「統合失調症と霊性の関連性」 は、哲学や精神医学、人類学などさまざまな領域でこれまで議論されてきたテーマです。

1. 感覚の拡張と霊性

統合失調症にはしばしば、現実感覚が拡張され、感受性が極度に鋭敏になる側面があります。その中で、

  • 世界が象徴やメタファーに満ちる感覚
  • 音や言葉に秘められた意味が響き合って聞こえる体験
  • 自己と宇宙との境界が曖昧になるような感覚

これらは宗教的な神秘体験や霊感と類似しています。その意味では、統合失調症はときに「強制された神秘体験」とも呼べるものかもしれません。

2. 精神病理学と宗教人類学の接点

精神病理学者の中には、統合失調症的な体験に宗教的解釈を与えた例もあります。たとえば:

  • ユング は無意識との邂逅、神話的象徴との接触と見なし
  • アントナン・アルトー や ルドルフ・シュタイナー などは、自らの体験を神秘的な理解に還元してきました
  • シャーマニズムや祭司職もまた、歴史的には精神状態が「常態とは違う人びと」に委ねられてきた面があります

そのような視点では、統合失調症に伴う感覚の逸脱には霊性が内在すると考えられてきました。

3. 苦しみと気づきの二重性

一方で、統合失調症が純粋に霊的恩恵だけをもたらすわけではありません。現実適応が困難になり、深い苦しみや孤立感に苛まれる側面もあります。それゆえに、単純に「霊性が高い」と美化するべきではなく、

  • それがもたらす痛み
  • 自己崩壊の危機と向き合った上で、それでもなお見出される真実
    が重要になります。

この「裂け目から響き出す響きこそが霊性そのもの」、とも言えます。

4. 芸術における霊性と病理

多くの芸術家たちは、そのような緊張状態から新しい言語や音楽、ヴィジョンを引き出してきました。
霊性と病理が背中合わせにある創造行為は、あなた方自身の実践とも深く響き合うでしょう。




2025/05. Yamanashi, JP

A Life of Reciprocity — The Paradox of Existence and My Personal Ethos



Introduction:


For a long time, I’ve felt conflicted about “making money” or “running a business.”
This isn’t simply because I believe "money is evil," but because I feel that the very structure of society violates ethical principles. To profit within this system can feel like complicity — and that’s deeply uncomfortable.

I've come to recognize that to live is to consume the lives of others.
Whether it’s eating food, building homes from timber, or occupying physical and ecological space — all of it depends on taking something away.

So then, isn’t living itself a kind of violence?

This question continues to sit, quietly but persistently, at the root of my being.


Confronting the Paradox of Life


In the natural world, all life exists within a cycle of taking and being taken.
Deer eat grass, wolves eat deer, wolves die and nourish the soil, which in turn feeds new grass.

Life circulates.

But we humans have placed ourselves outside this cycle.
We are no longer prey.
We take excessively, protect ourselves too well, and return too little.

In such a system, how can we speak of “living in harmony with nature”?
How can we feel peace in a society that praises profit and power?

There are no clear answers.
But I’ve come to believe this:
Even without answers, I can choose a stance — a way of being.
And that, I’ve found, is my path forward.


1. My Belief About Existence


I live with the awareness that my life depends on the sacrifice of others.
Eating, cutting trees, breathing the air — all of it leaves a trace, a cost paid by something else.

Rather than turn away from this fact, I choose to seek a form of equality — not as a master of nature, but as one participant in its web.
I wish to be a part of the cycle of giving and taking, not an exception to it.


2. Principles for Living

Be a Conversationalist with Life

I strive to engage with life forms, not use them.
Trees, animals, water, and soil — I try to live with the sense that each has a will and rhythm of its own.

Let Go of Perfect Morality

No action in this world is free of contradiction.
I do not seek to be pure, but to be honest.
By acknowledging my contradictions and continuing to question them, I inch closer to an undefined kind of goodness.

Live with the Intention to “Give Back”

Let me not just take. Let me restore, return, and reweave the cycle.
If I cut trees, I plant them.
If I eat, I give thanks.
If I build, I protect.
This is not just ethics. It is my form of prayer.


3. Relationship with Society


I do not live to "earn."
But I do see value in generating circulating, renewable meaning.
The economy, for me, is not the goal, but a tool to support lives and ideas.

I refuse to view clients or customers as mere revenue sources.
I wish to engage with others as co-creators, rooted in shared values and aesthetics.
Together, we can form a kind of community — small, honest, and deeply aligned.


4. Death and the Return of Life


I wish my death to become nourishment for others —
Let my body return to the earth, my knowledge to future generations, my being to the wind.

May the time I’ve spent alive bloom again in someone or something else.
I choose to live as a gesture of gratitude, a quiet act of giving back.


5. A Declaration in Words


I live at the cost of other lives.
And so I ask: How can I give back through the way I live? Even without perfect answers, questioning is my integrity. I choose not to be someone who only takes, But someone who returns —Slowly, humbly, folding myself back into the cycle of life.


Closing Words


This is not a philosophy meant to give answers.
Rather, I hope it offers some kind of reflection or resonance to those who, like me, feel uneasy with the current shape of society.

I, too, remain in the middle of my questions.

And so I ask you —
How do you live in a way that gives back?


返礼──命の矛盾と、私の個人理念





始めに:


私は長らく、**「お金を稼ぐこと」や「事業を行うこと」**に対して、罪悪感や抵抗を抱いてきました。この葛藤は、単純な「お金=悪」ではなく、「社会の仕組みが倫理に反している。だから、その中で“利益を出すこと”に加担しているようで苦しい。」という 構造的・思想的な違和感 であります。

生きることそのものが、他の命を消費する行為だと気づいているからです。それは食事でも、木材を使った家づくりでも、資源や空間を占有することでも──すべてが、何かを奪って成り立っている。

そうであるならば、生きること自体が「加害」ではないか?
そんな問いが、ずっと胸の底にあります。


命の矛盾と向き合うということ


自然界では、すべての命が「奪い・奪われる」ことを前提に存在しています。鹿が草を食べ、狼が鹿を食べ、やがて狼は死んで土に還り、草を育てます。

命は巡る。

ところが、人間だけが「食われない」存在になってしまった。
守られすぎ、奪いすぎ、自然に返す量が極端に少ない。

この構造のままで、果たして「自然と共に」などと語っていいのか。
事業をすること、富を得ることを善とする社会に、どう納得すればいいのか。

私の中にある根源的な問いは、こうして今も続いています。
答えは出ません。でも、姿勢なら持てる。
それが、私自身の中で浮かび上がった生き方です。


1. 私の存在についての信念


私は、生きることが他者のいのちを消費する行為であることを深く自覚している。それは、食べること、木を切ること、空気を使うこと、あらゆる営みにおいて他の存在の犠牲があるということだ。

その事実から目を逸らさずに、私は「対等性」を手繰り寄せたい。
支配者ではなく、自然の一部として、奪うことと返すことの循環に加わる存在でありたい。


2. 生き方の原則


  • 生命の対話者であること
  • いのちを一方的に“使う”のではなく、“関係を結ぶ”という意識で接する。
    木も、動物も、土も、水も──それぞれの意志とリズムがあると感じながら共に生きる。
  • 完全な正しさを求めないこと
    この世界に、矛盾のない行為は存在しない。
    だからこそ、私は完全ではなく、誠実さを選ぶ。
    自分の中の矛盾を認識し続け、問い続けることで、形なき善に少しでも近づいていく。
  • 「返す」生き方を意識すること
    奪うだけで終わらせない。土に還す。価値を循環させる。
    木を伐るなら植える。食べるなら祈る。建てるなら守る。
    この繰り返しが、私の倫理であり祈りである。


3. 社会との関係性


  • 私はこの社会の中で「稼ぐ」ことを目的とはしない。
    しかし、再生可能な価値を流通させることには意義を見出す。
    経済は、生き方と思想を支える土台として慎重に利用する。
  • 私は顧客やクライアントを「金銭的価値の対象」とは見なさない。
    人と人との信頼関係の中で、思想や美意識を共有する仲間として接したい。そのために、共鳴する者と共に、価値観に基づいた共同体を築く。


4. 死と、いのちの帰還について


私の死もまた、誰かの生を支えるものでありたい。
肉体は土に還し、知恵や経験は次世代へ引き継ぐ。
この命の時間が、他者や自然の中で再び芽吹くよう、
私は「いのちの返礼」としての生き方を選ぶ。


5. 言葉としての宣言


私は、いのちの対価で生きている。
だからこそ、私は問う。どう生きれば返せるかを。 完全な答えが無くても、問い続ける姿勢が私の誠実さ。 奪うだけの人間ではなく、関係性の中で返す人間でありたい。 いのちの循環の中に、静かに、自分を戻していく。


終わりに:


この考え方は、決して答えを出すためのものではありません。
ただ、「今の社会の構造に違和感を持つ人」「このままでは納得できない人」そんな人に届けば、何かの支えや反射板になれるかもしれません。

私もまた、問いの途中にいる一人です。
あなたは、どう生きれば“返せる”と思いますか?


2020. Berlin, DE

Autechre’s SIGN


The Autechre live I saw at the Glade Festival in the UK in 2006 was the best live I have ever come across in my whole life, and it was a set of four Elektrons based on “Untilted” which was released in the previous year. I write this fact first.

I think the “SIGN” is a complete failure. The ideology of the alias Autechre (for certain while), I personally understood, is that they have been in the pursuit of abundant complexity (after applying through the sensibilities and aesthetics of the two), which has been extremely information-overload-esque and continued to reject and transcend the (hardcore) listener's analysis. In this regard, I do not think the “SIGN” has much of such impressions. However, the fact that the essence of the problem I am feeling is not this point, seems very serious... I cannot see what they were aiming for. Rather, they probably made it very natural to their senses. The essence of the problem is here. Quite clearly, I feel that this level of music is already overflowing everywhere. With each release of Autehcre, the new territory of electronic music was further expanded, and the stimulating sensation of marking the alias Autechre into the undeveloped regions faded its presence. If music of Autechre does not have this innovative feel, what could possibly remain after? Isn't there anything left...? Now that only the name Autechre has surpassed the value of the actual musical output, the only thing I have in mind is what they wanted to say / convey with the title “SIGN”. This question has been spinning around in my head.


2026.02. Fujiyoshida, JP

I realised that tracks 1, 2, and 5 were absolutely amazing.
I believe the quality of my playback environment and sensibilities at the time were still too low.
Excuse me, dear.


2006年にイギリスのGlade Festivalで見たAutechreのライブが、僕が人生で今迄に経験した最高のライブであり、前年にリリースされたUntiltedを軸としたElektron計4台でのセットだった事を鮮明に記憶している、事を先に書いておきます。

SIGNは完全に失敗作だと思う。いつからかAutechreという名義が持つイデオロギー?の様なモノが(二人の感性・審美眼を通過した上での)極度に情報過多な、リスナーの分析を拒絶・超克し続けるような、潤沢な複雑性の追求にあったと個人的には捉えている。この点に関して、SIGNにはその面影がほとんど見受けられない様に思う。但し、僕の考える問題の本質が、寧ろこの点では無い事が非常に事を深刻にしている様に思う。二人が目指したモノが全く見えてこない。というより、おそらく二人が限りなく自然体で作ったのだろう。ここに問題の本質があると思う。かなりハッキリ明言すると、もうこのレベルの音楽は巷に溢れている様に感じている。Autehcreがリリースを重ねる毎に電子音楽の極限領域を更に拡大させ、未開の地にAutechreという名を何度もマーキングしていった様な刺激的な感覚はその影を潜め、彼らの(自然体で作られた、と仮定しての)音楽にはこういった革新性が無い、となると残るモノは何なのだろう。。?何も無いのでは無いか。。?Autechreというラベルだけが実際のアウトプットである音楽の価値を凌駕してしまった今、SIGNというタイトルで何を二人が言いたかったのか・伝えたかったのか、という点だけが、僕の頭を今ぐるぐると回っている。


2026.02. 富士吉田 日本

Tr. 1, 2, 5は非常に素晴らしい事に気付かされた。
私の当時の再生環境と感性がまだまだ甘かったのだと思う。



2008. Brighton, UK

Table of Contents | Thesis


- DESCRIPTION

2008年、英University Of BrightonのDigital Music / Sound Art学科で就学中、卒業論文を書く際に記した(日本語で書かれた)目次とメモのテキストファイルを(ふとしたきっかけで)HDDより見つけました。時期的に考えて、独Mille PlateauxよりリリースされたYu Miyashitaデビュー作"Noble Niche"の制作時期の前後と重なります。今見返すと気恥ずかしい部分(荒々しい若さや一貫性が無くこじつけが多い点)も多々あるのですが、自身がこの時期に何をどう思案していたかを客観的に把握し、更にそれを共有してみたいという考えの元、加筆修正して公開します。
 
 
- CONTENT

「ノイズミュージックとは」

  01. ノイズミュージックの定義
  02. ノイズミュージックの簡潔な歴史


「日本のノイズミュージックと時代背景との関連性」
  03. Japanoiseの定義
  04. japanoiseの簡潔な歴史
  05. 「学生運動、バブル経済」等の社会 / 時代的関係との考察


「Merzbow」
  06. Merzbow - バイオグラフィ、
  07. 使用されている音素材、 アーティストの(初期の)作品、 制作方法、の考察
  08. 楽曲"Takemitsu"の分析


「古来から続く伝統からの逸脱」
  09. Uchihashi kazuhisa 「伝統がないからこそ何でも出来る」との発言に関して


「春の海」文化的関係
  10. 宮城道雄 - バイオグラフィ
  11. 同作曲者による楽曲のパフォーマー紹介
  12. Haru no Umiの分析


「(日本の伝統音楽で使用される楽器から聴取可能な)噪音 - ノイズ(ミュージック)」
  13. ノイズミュージックと噪音の美学との関係 / 関連性の考察
  14. ノイズミュージック(噪音要素の拡大解釈として)の定義は可能であるか
 

「西欧のノイズミュージックとの関係 / 関連性」 
  15. Lou Reed バイオグラフィ
  16. metal machine musicの分析
  17. Part lの分析
  18. 浮上してくる関係 / 関連性の考察
 

「認知心理学の観点からのノイズミュージック」
  19. 「日本人の脳」角田忠信の紹介
  20. 音を処理する際に使う脳の部位の差異(日本人と西洋人との比較に於いて)
  21. 日本人特有の脳の部位の使用(鳥の鳴き声を言語脳で処理する等)とノイズミュージック(Japanoise)の興隆の関連性の考察
  22. (色々な音を聴取する際の)脳の部位の働きと国籍との関連性
  23. ノイズ(不快な音として)の定義に対する個人差の存在
  24. Merzbow - 「ポップはノイズ」という発言に関して
  25. John Cage - 「ノイズと楽音」に関して
 

「ノイズミュージックの延長」
  26. Onkyo-Kei((音響系)はノイズミュージックの延長であるか
  27. Onkyo-Keiの定義
  28. Sachiko M - バイオグラフィ
  29. 楽曲"Don't Ask"の分析
 

「ハイブリッドなノイズミュージック」
  30. Ryoji Ikeda(の音楽)はOnkyo-KeiとNoiseのハイブリッドであるか
  31. Ryoji Ikeda - バイオグラフィ
  32. 楽曲"C3 circuit"の分析
 

「グリッチミュージック」
  33. 前述以外のアプローチとしてのノイズミュージック - グリッチミュージック
  34. グリッチミュージックの定義
  35. Tone Yasunao バイオグラフィ
  36. Tone Yasunaoの作品、制作方法
  37. 楽曲"Part l"の分析
   

「総論、持論」
  38. (ジャパ)ノイズに関しての考察
  39. テクノロジーの進化を考慮しての(ジャパ)ノイズの未来

 
 
- NOTE
 

ノイズミュージックを聞く人にとってノイズはノイズではない。
逆に完全な静寂を求めた場合、それは可能であるか?
私たちは常に音に囲まれて生活している。
anechoic chamberの中でさえ脈拍が聞こえてしまう。
 
完全な静寂は人体に悪影響を及ぼす。
この意味においてこれこそが最高峰の?ノイズ(不快な音という定義において)である。
しかしこの完全な静寂は生きている限り体験する事が出来ない。
死(完全な静寂だと仮定すると)こそが完全なノイズであるといって間違いでは無いのではないか?
 
完全な静寂こそが人間が聞く最後のノイズ(無音としての)であり、それは死後永遠と続くノイズ(音 - 無音としての)なのかもしれない。
 
 
- Edited / Modified on 15 March 2015





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Self-taught Polymath 
(Music / Architecture / Philosophy / Myth & Symbols / Ethics / Etc.)

Fujiyoshida Yamanashi JP via UK & DE  
独学の博学者
(音楽 / 建築 / 哲学 / 神話・象徴 / 倫理 / 等)

英独 経由 富士吉田 山梨 日本


Runs THE COLLECTION ARTAUD 主宰